大儀のない解散と小池劇場、政治家の職責

 安倍首相が突然、衆議院を解散し、その結果として希望の党が結成され、小池百合子東京都知事の国政進出が囁かれる状況となりました。今回の解散に対しては「大義がない」との批判が一部から出ているほか、小池氏に対しても知事と政党代表の兼務について疑問視する声が上がっているようです。政治家の職責とはどのように判断されるべきなのでしょうか。

写真:つのだよしお/アフロ

 内閣が衆議院を解散する権利は憲法に定められたもので(69条および7条)、これは議院内閣制の根幹をなす制度のひとつといえます。正式には、解散権は首相ではなく内閣にありますが、内閣の意思決定権は事実上、首相が握っていますから、解散権も限りなく首相に帰属しているというのが自然な考え方です。

 現実の政治においても、解散権は首相の専権事項とされ、他の政治家は関与できないというのが(厳密な法解釈はともかくとして)一般的な理解となっています。解散権というのは、首相のみが持つ「伝家の宝刀」と言われるのはこうした理由からです。

 首相はあらゆる判断を含めて解散を決断するわけですから、仮に自身の利益のためであったり、党利党略であったとしても、それを防ぐ手段はありません。もしその解散に大義がないと国民が判断した場合は、解散後に行われる総選挙で民意を示すというのが議会制民主主義の考え方になります。

 もっとも現実的には、解散権を濫用してしまうと首相の権威が低下し、ひいては政治の弱体化を引き起こしますから、不必要に解散を繰り返すべきではありません。

写真:つのだよしお/アフロ

 一方、政党というのは完全にプライベートな団体ですから、都知事と政党の党首を兼務することは可能です。小池氏が国政への野心を持って都知事に立候補したことは周知の事実であり、小池氏サイドとしては何の問題もないというスタンスだと思われます。

 しかしながら、制度としては問題がなくても、現実的にはいろいろと弊害が出てくるでしょう。都知事の職務は、本気で取り組むということになるとかなりの多忙を極めます。

 国政に関与する政党の党首と都知事を兼務し、両方の職務を完全にこなすのは至難の業です。小池氏の応援団を買って出ていた東京都議の音喜多駿氏は、「兼務は可能」としながらも「都政の課題が山積している状態を考えると小池氏の政治姿勢には疑問がある」として、小池氏が事実上率いる地域政党「都民ファーストの会」からの離党を決めています。

 一部から、今回の兼務について、総理大臣が自民党総裁を兼務している話を引き合いに出すケースがあるようですが、戦後の日本は議院内閣制の国ですし、大正デモクラシーから続く「憲政の常道」という理念からも、与党党首が総理大臣になるのは当然のことであり、知事と政党代表の兼務の話とは次元が異なります。

(The Capital Tribune Japan)