女優ルー・ドゥ・ラージュ、絶望と再生を寄り添わせた名演『夜明けの祈り』

 取材前夜、フランス大使館で開催された、フランス映画祭の25回という節目を祝うパーティ。いつもは広々としているホールも詰めかけた招待客でこの日ばかりは立錐の余地もない。祝辞や演奏のたびに“注目して!”の意味を込めてチンチンとグラスが鳴らされても、招待客はお構いなし。皆おしゃべりがとまらない。

 ただ、透ける素材で作られたディオールのミニドレスを着た若い女性が広間を横切ったときだけ、一瞬の静寂が訪れた。ルー・ドゥ・ラージュ、映画祭の参加作品でもある『夜明けの祈り』の主演女優だ。彼女は、カトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・ユペールらもいる会場で、ひと際存在感を示していた。翌朝の取材で開口一番そのことを告げると、低いトーンのハスキーボイスで「ドレスのおかげね」と彼女は笑った。

第2次世界大戦末期、ポーランドの修道女を襲った悲劇

『夜明けの祈り』(C) 2015 MANDARIN CINEMA AEROPLAN FILM MARS FILMS FRANCE 2 CINEMA SCOPE PICTURES

 第2次大戦末期、ソ連兵の蛮行により身ごもった7人のポーランドの修道女。暴行に傷ついたうえ、その行為は神への裏切りになると思い苦しむ彼女たち。だが生命は誕生しようとする。ポーランドの赤十字で働くフランス人医師マチルドは、言葉の通じない見知らぬシスターに請われ、その修道院を訪ねた……。映画『夜明けの祈り』で、医師マチルドを演じるのがルー・ドゥ・ラージュ。先日、日本公開された『世界にひとつの金メダル』にも出演。27歳にして大女優の片りんを感じさせる独特な存在感を持つ。

ルー・ドゥ・ラージュ(撮影:伊藤さゆ)

 撮影は主に、ポーランドの廃屋となっていた修道院で行われた。ルー・ドゥ・ラージュにとっては、ポーランド語の女優に囲まれての仕事。撮影もまた、医師マチルドが異郷の地で味わった状況に近かったようだ。

 「全然フランス語を理解しない女優さんたちと、馴染みのない修道院の世界に入って仕事をする。この2つに関してはまったくマチルドと同じ経験だったと思います。ただ私は違う言語を使う方々と仕事をするのは好き。言語が違うと、何ごとも短く濃くはっきり言うことになるから、無駄な装飾がいらない。ポーランドの女優さんたちも非常にそれを歓迎してくれました。そういう面ではラッキーだったと思います」

『夜明けの祈り』(C) 2015 MANDARIN CINEMA AEROPLAN FILM MARS FILMS FRANCE 2 CINEMA SCOPE PICTURES

 演じるにあたり、ルー・ドゥ・ラージュが取り組んだのは医学的な知識と、その治療方法を取得することだった。

 「戦時中のポーランドをめぐる、ドイツ、ソ連の状況については、フランスでは歴史の授業でその事実関係をきちんと学ぶので、特に新たな知識を得る必要はありませんでした。まず、外科的なことや産科医としてお腹を触診することなどを学びました。帝王切開の仕方や、縫合も医師に習い、練習をしました。恐らく当時、女医が戦場に行くのは大変だったのだろうと思います。ただ、この映画に関して言えば、“女性がこの戦争中に医者としてこんなところに行った”ということがテーマではないし、マチルドも女だからできないことがあるとは一切感じてなかったでしょう。“女医だから”と感じさせないように演じるよう、心がけました。修道女役のポーランドの女優たちとリハーサルを重ねているうちに、その思いはさらに強くなりました」

修道女たちは“信仰”を、医師マチルドは“信念”を武器に光を求めた

 ドイツの占領下にあったポーランドが、ソ連の“解放軍”により、首都ワルシャワを奪還した年の話。ソ連軍兵士による暴行が元凶となって物語は始まる。実際に第2次大戦の末期に起きた悲劇だが、今でも“蛮行”はなくならない。映画では、同じ女性でもマチルドには医学という分かりやすい武器がある。一方、妊娠し、どんどんお腹の中で成長していく子どもを抱え、修道女たちはそのつらい戦いになにを“武器”に挑んだのだろう? 信仰? ルー・ドゥ・ラージュはどう解釈したのか?

 「まず今もなくならない戦場での性的暴力についてひと言。戦争において、女性を犯すことは一種の攻撃とすら言われています。それが当たり前のように語られる状況は、本当に憂慮すべきこと。怒りを感じます。ただ、この映画は“そこからどう再生するか”、“どう希望を見出して復活していくのか”を描いたもの。マチルドには修道女のような“信仰”はありませんが、“信念”は持っていた。それは命に対しての信念で、人生、そして人間を信じていたんだと思います。“信仰”も“信念”も、“生”の肯定であるのは同じ。手段が異なるだけ。修道女とは違うやり方でマチルドも“生命”について考えていた。ただマチルドも非常に弱いところがある。私は演じるとき、あまり弱さを見せないようにと(アンヌ・)フォンテーヌ監督に言われました。常に冷静でいなさいと。涙を流すときも泣き崩れてはいけないと。すでに戦場を経験しているマチルドは、人間の残酷さを嫌というほど見ているわけです。彼女にとってはこれまでの体験の延長線上にあるものだったかもしれません」

「クールでありなさい」という演出に応える。役を演じるとはそういうこと

『夜明けの祈り』(C) 2015 MANDARIN CINEMA AEROPLAN FILM MARS FILMS FRANCE 2 CINEMA SCOPE PICTURES

 修道女たちと出会い、人生の経験値を上げていくマチルド。この役を演じることは、ルー・ドゥ・ラージュにはどんな体験だったのか?

 「マチルドは最初、無宗教で科学的根拠があるもののみを信じている。それが成長していく中で、スピリチュアルな考え方を身につけるようになる。別な言い方をすれば、寛容さが増していくというか。でも私はマチルドを演じただけ。戦時中でもないし、残酷な体験をしたわけでもない。そういう意味では、ただの役だったということです」

 役の演じ方にはいろいろなやり方がある。だが、役を経たことでわずかでもなにか澱のように残ったものがあれば、それはどんなものであったのか知りたかった。

 「日本で公開された作品に『世界にひとつの金メダル』があります。でもそれを演じたからといって、なにかを得たという感覚ではありません。より多くのことは舞台で経験しているし、もしそういう感覚があるとしたら舞台の方が多いかもしれません。ただ、この役を演じるときに最もフォンテーヌ監督から言われたのは、“シンプルでありなさい。そしてクールでありなさい”ということ。一緒に演じている修道女役の方がものすごくうまいので、つい冷静さを失い、優しくなってしまうことがあって(笑)。役を演じるとはそういうことだと学びました。ヴァンサン(・マケーニュ)が演じた医師サミュエルとのシーンだけは、ほぼ自由に笑うことができ、警戒心を緩めることができたので、演じるにあたり唯一息が抜けるシーンでした」

マチルドのモデルは実在の人物、マドレーヌ・ポーリアック

サミュエル(ヴァンサン・マケーニュ)『夜明けの祈り』(C) 2015 MANDARIN CINEMA AEROPLAN FILM MARS FILMS FRANCE 2 CINEMA SCOPE PICTURES

 任務によって出会い、そして別れなければならない、サミュエルとマチルド。マチルドのモデルは実在したマドレーヌ・ポーリアックというフランス内務省の中尉医務官だ。マドレーヌは廃墟となったワルシャワのフランス病院に、チーフドクターとして赴任。医療行為とともに、兵士をはじめとするフランス国籍保持者の捜索、保護、帰国を支援する任務を負っていた。そんな中で目の当たりにする、女性に対する性的暴力の数々。医学的かつ、精神的にも被害者と寄り添ったと言われている。

 「サミュエルとマチルドは、いずれは別れなきゃいけないことが分かっている。ヴァンサンとは、厳しい戦時下だからこそ一瞬でも寄り添える人が必要だし、優しさを通わせたいと思ったのではないかと話しました。それがフォンテーヌ監督の作り上げたマチルド像でもあるんですが、対極にあるのは修道院長の補佐役シスター・マリア(アガタ・ブゼク)。彼女の中では、優しさを求める気持ちは過去のものになっている。マチルドは優しさを求めながら、医者として過酷な情況を生き抜こうとする人間像となったと思います」

映画から感じる光 「絵のように撮られた」美しい映像とルーの強さと美しさと脆さを抱いた演技

 撮影監督のカロリーヌ・シャンプティエは、カメラとマチルダの間にあるクールでありながら人と寄り添おうとする空気を切り取り、素晴らしい物語を醸し出した。

 「シャンプティエは、本当に素晴らしい能力を持った熱意のある人だと思います。絵のように撮る人だと聞いていましたし、実際そう思いました。フォンテーヌ監督は、シャンプティエが映画に陰影をつけることによって深みをもたらしてくれた、と言っていました。俳優と撮影監督は、同じくらい重要だと思います」

 『夜明けの祈り』という日本語のタイトル通り、映画からある光を感じた。

『夜明けの祈り』(C) 2015 MANDARIN CINEMA AEROPLAN FILM MARS FILMS FRANCE 2 CINEMA SCOPE PICTURES

 フォンテーヌ監督はいう。

 「(マチルドは)これまで耳にしたこともない残酷な事件の目撃者です。マチルドが穏やかな人物ということはありえません。彼女の職業からしても、強さを感じさせる意志の持ち主である必要がありました」。さらに、

 「ルーの力強く際立った美しさ、気品、やや頑固な側面、そして若々しさと、ひと皮むけばそこにある内面の脆さはこの作品にふさわしい資質だった」と。「限界を知らず、果敢なところは少しマチルドと似ているのではないか」

 その通りだと納得できた。私たちには、映画とともに、この果敢な女優をつぶさに見るという楽しみも付加された。

(取材・文:関口裕子)

『夜明けの祈り』配給:ロングライド、8月5日(土)公開、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開、(C)2015 MANDARIN CINEMA AEROPLAN FILM MARS FILMS FRANCE 2 CINEMA SCOPE PICTURES